帽子の呪い

 帽子を買った。
 ハット、の方。
 子供の頃誰かに言われたのだ。

「お前は帽子が似合わない。頭が大きいからね」

 そうなのか、と思った。
 私は一生帽子はかぶらないですましておこう、死ぬもんでもないしな、と思った。

 
 友達の帽子をひょいととってかぶってみせるなんてことはあったけど、それはちょっとしたコミュニケーションの一環で「頭が大きい私が帽子をかぶってみた」というわけではなく、あくまで「たわむれに友達のアクセサリーを褒めてみる」みたいなことに近いのだ。
 「似合うじゃん」と言われても、それは「おい返せよ」程度の意味だと思っていた。

 
 さて急展開。
 行きつけの病院。この猛暑である。
 顔見知りの看護師さんに出会い頭言われたのだ。

「有永さん、帽子もかぶらずに大丈夫かなってみんなで心配してたんだよ。大丈夫?」

 え? そんなこと周知されてた?
 前々から優しい病院だなとは思ってたけど優しさ100%でできてるの?
 帽子、帽子かあ。
 でも私、似合わないからなあ。

 
 そんなおり漫画家さんたちと原画展を見に行くことになった。
 とある漫画家さんから「ペットボトルと帽子持って重装備で挑むよ」と連絡が来る。
 ここにも出てきた、帽子である。
 いや、私、帽子は似合わないので……でも帽子がないとやっぱりまずいのだろうか……?
 そのすこし前にまさかの室内で軽度の熱中症になっていた私は怯えていた。
 引きこもりが外に出たらどうなってしまうのだろう? 死んでしまうのではないか?
 どうせ漫画家さんたちと一緒の時にアレするなら王騎将軍みたいにアレしたくないか?
 私はそうしたい。
 暑さで生涯を全うする王騎将軍とか誰も見たくない。
 馬上でGペンかアップルペンシルを次世代に託して全てを終えたい。王騎将軍はアップルペンシルなんて持ってねーよタコ。何の話だ?

 
 原画展に行く途中の乗り換えで降りた駅で夏物セールをやっていた。
 4割引。6割引。なかなかの割引率。
 まだ夏真っ盛りなのになぜもうファッション業界は夏を閉じようとしているのか私はいつも分からない。煽りのうまいバンドのように「まだまだお前らやれんだろ~!?」みたいな感じはない。私がオシャレになれないのはこの感覚が分からないからかもしれない。基本まだまだやりたい性分なんである私は。
 店には色々な帽子が並んでいた。
 麦わら帽子……麦わら帽子……麦わら帽子……キャップ……麦わら帽子……キャップ……麦わら帽子……。
 私の帽子歴がゼロ年生すぎて帽子ボキャブラリーがないのでなんの情景描写もできないのが申し訳ない。
 私は学校の紅白帽とアメリカに行った時に記念で買って一度もかぶったこともないニューヨーク・ヤンキースのキャップを持っていた以外は、帽子などというものと生涯縁がなかったのだから。
 ひとつ麦わら帽子をとってみてかぶってみた。
 抱いた感想は
「視界がせばまるなあ」
 だった。
 鏡を見たらドキッとした。
 見たことのない姿の自分がいて、あまりにも見慣れなさすぎてすぐに帽子をとって元の場所に戻してしまった。

「お前は帽子が似合わない。頭が大きいからね」

 頭の中でわんわんと鳴った。
 なにかいけないことをしているような気持ちになった。
 けれど同時に、

「有永さん、帽子もかぶらずに大丈夫かなってみんなで心配してたんだよ。大丈夫?」
「ペットボトルと帽子持って重装備で挑むよ」

 というここのところの帽子づいている私のまわりのテーマがガンガン「まだやれんだろ~!?」と肩をゆさぶってくるのである。
 基本まだまだやりたい性分なんである私は。
 物は試しだ。
 そして慣れなのだ。
 まだやれんだろ?
 私はちょっとだけ勇気を出すことにした。

 
 10回くらい機械的にあらゆる帽子の着脱を繰り返してみた。
 すると不思議なことに帽子をかぶっている鏡の中の自分にも慣れてきて、どの帽子が「まだなんとなく似合いそうか」も分かってきた。人間ってすごい。これはむしろ麻痺っていうのかな。
 次第に「これかもしれない」と思った帽子もなんとなく分かって、数回ほどかぶっては鏡を見て、戻して、他の服を見て、またかぶって……を繰り返し……
 最終的に腹を決めてレジに持って行き、

「これからかぶるのでタグを切ってください」

 と言った。
 これでもう返品できないぞ。
 ただの麦わら帽子だ。
 黒く太いリボンのついたつばの広いもので、コンパクトに畳めますと書いてある。
 私の初めての帽子だ。
 レジから離れて、私は早速かぶった。
 誰も私を見ていなかった。
 誰も私を指さして

「お前は帽子が似合わない。頭が大きいからね」

 とは笑わなかった。

 
 生まれて初めて選んで買った帽子はとても涼しくて、ただ電車の表示を見るのにたくさんツバを持って上を向く必要があった。
 風が強いところでは飛ばないよう押さえる必要があった。
 漫画やアニメでよく見る描写だ。
 当たり前だが、全てになるほど、と少し笑った。
 こんなに涼しいなら、最初からかぶればよかった。
 こんなに帽子って合理的だったんだ。
 私は生きるために帽子をかぶる。
 そう思った。

 
 翌週かかりつけの病院にかぶって行ったら、
「あら、かわいい」
 と褒めてもらった。びっくりした。
 かかりつけの薬局の薬剤師さんにも
「帽子お似合いですね」
 と突然言われた。
 ただ生きるためにかぶることにした帽子は人によってはオシャレに見えるんだな、と思った。
 しかもリップサービスかもしれないけれど、これは私に似合うかもしれないのだ。

 
 私は呪いの言葉をたくさん持っている。
 それをひとつ上書きできたので、今日は誰かに聞いて欲しかった。
 私の帽子。私の合理的な生きるための帽子。
 またいつか違う帽子が増えるかもしれない。
 その時はまた聞いて欲しいな。