誰かの中に自分がいる

 私の経歴はあまりストレートなものではなくて、

中学生からウェブサイトを運営する
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結構な人が見に来てくれる
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小説をメインで書く
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海外に家の都合で移住する
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帰国する
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片手もなかったドストエフスキーファンサイトも持っていた(未だに知ってたと声をかけられる)
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漫画をまともに描いたこともないのに突然漫画家になる

 というシンプルに説明しても我ながらよくわからないものになっている。
 新しく出会う編集さんにも自分のライフヒストリーを話す際
「海外に住み帰ってきてからも小説をずっと書いていたのですが突然漫画家になりました。描き始めて1年で連載が始まって……」
 と言うと「?????」と頭の上にとんでいるのが見える。
 わかる。私も同じものをとばせながら説明している。
 わけがわからん。

 
 今年の3月に小学生のころに一番仲の良かった二人と十数年ぶりに再会した。
 私が人生でもっとも長く過ごしたのが小学校の5年間で、彼女たちはその5年間私と長くをともにしてくれた子たちだった。
 互いの顔を見た瞬間に一瞬で
「あ、あの子だ。今は小学校の中休みで、これからいっしょにドッジボールをするのだ」
 という気持ちになったほど”recognize”できたのはちょっとした驚きだった。
(ちなみに私は”recognize”という言葉にもっとも適した日本語を未だ探している途中で、「見分けられる」とも「わかる」とも違って、もちろんその両方であり、イメージとしては千と千尋のブタを前にして両親はいないと首を振って大当たりな千尋みたいなイメージなのです)(ネイティブの友人にも今度イメージを聞いてみます)

 3人でご飯を食べながら昔話に花を咲かせるかと思いきや、今どんな仕事をしているか、どんな生活をしているか、どんなことを考えながら生きているかがシームレスに昔話からスライドしてきて、これは本当に小さい頃をともに生きていないと起こりえないことだと思わず目を見開いてしまった。
 つまり小さい頃の話をする必要がないのだ。
 私達は小さい頃をともにすごし、その記憶を持って今まで地続きで生きてきたのだから、「今」が大切であり、「過去」は自明で当然のものとして扱われる。
 私は仕事でも新しい人間関係でも私は複雑な自分のライフヒストリーを説明することに慣れてしまっていた。
 けれどもそれがほとんど必要ない。空白の期間の出来事を話すだけでよくて、あとは「知ってるから」「だろうね(想像の範疇内)」で終わりなのだ。

 私が漫画家だと告げると、二人のうちの一人が今日の夕飯のおかずを告げるような口調で
「なるほど、有ちゃんは休み時間に絵を描いていたからね」(※私は本名の名字+ちゃんで呼ばれていた)
 とだけ言って納得してくれた。
 もうひとりの友人は
「へ~そうなんだ。私は物をすぐ捨てるけど、多分有ちゃんの絵は残ってるよ」
 とのこと。
「わたし風邪引いたんだ」
 と告げたほうがよっぽど反応がよかったのではないかというほど、彼女たちは当たり前のように私のことを受け入れてくれて、当たり前に彼女たちの記憶の地続きに私を住まわせた。
 これにはさすがに参った。

 食事も終盤に差し掛かった頃、一人がわたしを覗き込んで
「有ちゃん、来月誕生日だったよね?」
 と訊いた。
「春休み……じゃなかった? いつもみんなより先に年取ってて、お祝いがさ、できない。何日だったっけ。はやいよね」
「そうそう私も誕生日春休みだから有ちゃん来月なの覚えてるよ」
 4日だ、と告げると「そうだゾロ目だったね」と嬉しげに笑う。
 私は大きくショックを受けて、しばらく上手に受け答えができなかった。

 
 私は誰の記憶にも残っていないと思っていた。
 小中高大すべて違う土地の違う人間関係の中で過ごした。
 そこで出会った人たちにとって、いたかな、という程度の人間であればそれでいいし、おそらくそうなのだろうと思っていた。忘れてくれて構わないしインスタントな人間であることを心がけていた。適材適所、最適化された自分。
 違う。そんなのは馬鹿野郎の考えることだ。失礼だ。
 誕生日を覚えられていた、と恥じ入った。
 自分が生まれた日を覚えてもらっていたということが、どれだけのことか。
 私以外の誰かの記憶のどこかに、私のための引き出しがある。
 私が、他の誰かが、どんなにその人を否定しようがその引き出しがあったという事実がなくなることはない。
 想像がまったく及ばなかった。
 本当に本当に、大馬鹿野郎だ。

 
 余談。
 先日、
「小学生のころから有永さんのサイトを見ていてずっと日記も読んでいました」
 という編集さんとお会いしてきた。
 小学生……?
 小学生って、小学生だよね……??
 私もサイト運営を始めたのが中学生だったので年の頃はお互い近かったのだけど、それにしても小学生……? 有害すぎでは……?(?)
 と思いながら出版社にお邪魔した。(ちなみに私が大好きな作家さんが多数いる文芸出版社なのでドキドキした)(しらんがな)

 もはや言うまでもないけれど、ここでもまた
「自分のこれまでを説明しなくても知っているので理解してくれる」
 に遭遇してしまい参った。本当に参った。
 サイトを運営していた際、私は何を考えていたのか「365日絶対に毎日日記だけは更新する」という謎のしばりをつけて運営していたため(ばかなのか?)、日記を読みに来てくださる方が多かった。
 当時の編集さんは、おそらく私が海外に行く前から、そして海外に行ってから、ずっと私のことを日記を通して見守ってくださっていた。
 そして私の日記で彼女の人生は大きく変わることとなり(個人情報なので書けませんが本当に本当に大きなことです)、それがなければ今こうして出版社の一室で漫画家と編集者として邂逅を果たすことはなかったのだろうということも分かった。
 奇跡的な確率だと思った。
 奇跡なのか? 必然なのか? 分からない。選択したのはその方なので必然なのだろう。
 けれど私にとっては奇跡なのだ。
 私がその方のなかに存在したということそのものは、とほうもなくありがたく宝物のような奇跡なのだ。

 
 私は誰かの引き出しにお邪魔するばかりか、その方の人生の一部まで大きくゆさぶっていた。
 何かを発信すること、何かを表現すること。は、そういうことなのかもしれない。
 責任とも違う。誇らしさとも違う。
 ただ、眠れなかった。

 誰かの中に自分がいる。

 それはロマンチシズムではない。
 たちきれない、誰一人否定することができない、純然たる事実そのものでしかない。
 私は私をぞんざいに扱ってしまうことがままある。周りの人が幸福であれと思えば思うほど自分がおざなりになる。私は透明人間のようであればよいと思うこともある。
 けれど誰かの中に自分がいるなら、自分が自分をまず尊重してやらなければその人に申し訳が立たない。その人の人生に自分が加担しているならば、私はその人がせめて誇れるような一部でありたいと思った。
 本当に大馬鹿野郎だ。

 そういえば私は、小学生のころの友人のうちの一人の誕生日を、日が近いこともあり語呂合わせで覚えていた。
 この十数年、毎年その日が来るたびに「どうしているかな。もう会わないかもしれないだろうけど」と思っていた。
 馬鹿野郎。また会ったじゃないか。
 私の中にも引き出しはある。途方もなくある。
 勝手に誰かの引き出しを開けて、毎日のように眺めたり思い出したりしている。
 会いたいと思う人達がたくさんいる。叶わないこともたくさん知っている。
 でもいつか叶うかもしれないということも最近覚えた。
 愛しいそれらを抱えながら、自分の中に誰かを住まわせて生きていく。